陸前高田の廃校がマハラジャ六本木になった夜

被災地の老若男女200人がアースウインドウファイヤのセプテンバーをBGMに踊り狂った日
あれから2年と半年。毎年夏になると、NPOの組織がUCLAの学生の中でもいろんなスポーツの分野で学生チャンピオンになった優れた学生30名近くが被災地陸前高田の子供達とスポーツや共同作業をする企画があり、そこに自分もボランティア通訳として2回ほど参加してました。


2019年の夏、その企画が最後になる夜の6時、廃校の体育館には例年以上に子供や親、関係者が集まっていました。気仙沼からは出張屋台も2件来ており、今までにない盛りあがりが期待されてました。


自分は昨年親しくなった、体操競技で全米学生チャンピオン(ミスハワイにも選ばれた)になった女の子と話しをし、彼女の新しいダンスのコンビネーションを見た後、自分も昔やっていたエアロビクスのジャンピングジャックの複雑なコンビネーションを披露すると、彼女は感化されたのか、高度なダンスの技を披露しはじめ、彼女以外のアスリートの女の子も踊りだしました、彼女にスマホの音楽を体育館のBOSEの大型スピーカーに接続するよう話すと、スピーカーから


アースウインドウファイヤのセプテンバーが重低音の効いた大音量で流れだし、老若男女、ほぼ全員が踊り始めました。その熱気たるや、マハラジャ六本木をはるかに超えてました。


8年前自分が マハラジャに何度かいっていたころは 数十人も集まっていなかった(今は分かりません)ような。


自分の行動が発端で始まったひと夏の出来事。サタデーナイトフィーバーが佳境を迎えるなか、高齢の両親の事が心配な自分は こっそりそこから抜け出しました。500円で 飲んで、食べて踊る あんな夜が またあればいいなー。


(クルマできた自分は余りの盛り上がりで、自分を見失い、出張屋台で500円払いジントニック。一口飲んだ後、車で来たこと思い出し、そのドリンクは


身長2mを超えるバスケット選手に(こんな僻地に 子供たちのために、わざわざきてれてありがとうと 英語で伝え)あげました。