子供は 親を選んで生まれてくる

子供が虐待され、死に至る事件が起こる昨今、子供は 親を選べないというのが正論みたいにマスコミで報じられる。多分、多くの人がそういう捉え方なのではないかと思います。


自分は小さい時から、母親が自分に対して優しくしてくれたという体験がありません、いつも怒鳴られ、罵詈雑言をあびせられる、出来損ない、醜い顔、こんな簡単なことも分からないのか、疫病神。枚挙にいとまがない。発達障害なので、奇妙で理解できない子供に見えたのでしょう。世界で一番嫌いな人は 母親でした。兄弟姉妹のような母子関係があったりしますが自分には到底理解できません。


自分が62歳の今まで一度も結婚しない理由は この母子関係からくるセルフイメージの極端に低いことからくると思います。40代はじめ、過食と飲酒で酒を飲んで食べては吐く時期が数年ありガンマGTPが1300とかの数値になり生きてるのが不思議みたいな。


生きていたい とも 死にたいとも思わない、どうでもいいという自暴自棄な日々でした。10代後半から不眠症になり、大学受験のやまば高3の夏から 不眠が悪化、自宅向かいの叔父の家が新築するにあたり、叔母の弟が大工で、安く仕上げるためによる11時過ぎまで、ドンカンドンカンという音で全く勉強に集中できず、春の校内模試で1番だった成績は秋には2番になりそして3番。勉強したいのに、妨害される、その怒りで不眠は悪化の一途。


当時は自分が発達障害とは知りませんから、自分が異常に音に敏感で静かな環境でないと集中できない。いずれにしろその時期から不眠症に悩ませることがしばしば。結局浪人して
不眠を極端に悪くなり、偏差値80を超える時期もあった学業もダメで 高2で受験しても簡単に合格できた大学に浪人して入ることになり、大学生活は絶望からはじまりました。


最初の子供は親を選んで生まれてくるという話にもどります。自分は今、90歳過ぎた父と母と一緒に生活してます、父は耳が全然聞こえないため、意思疎通するだけでも大変、母親は認知症が悪化するばかり。


認知症といっても、その人がもともとどういう人だったかによって対応の難易度は かなり違ってきます。


朝と夜、食後に薬を飲むのですが、飲むタイミングが1,2分ずれるだけで、薬はすでに飲んだ、もう飲まないと言い張る。介護士として仕事していた時 どんな頑固な利用者さんでも自分なら言いくるめられるということで、いろんな場面で重宝されてましたが、自分の母親の頑固さは 異常で大変です。でも うまく誘導して飲んでもらいます。


2か月1度病院で薬をもらいに行くのですが、母は絶対行きません、認知症は治ったと言い張ります、それでも、いろんなストーリーをでっちあげ、なんとか病院で薬をもらってきます


夜食事をするとき、両親の食事を作り食べるまで流れも大変です、父と母を同じ時間帯で食事させるだけでも大変、父は4時過ぎ母は6時頃に晩御飯を食べたいので、なんとか5時に自分も含め夕飯を食べます。栄養バランスを考え、玄米(胃の弱い父のため、おかゆのような玄米食)中心に 作ります。配食弁当は あまりにも 味気なく、あれを食べさせるのは可哀想なので、自分が食事を作ってます、食事作りは簡単なのですが、大変なのは母に いろいろ邪魔されること、まず、夕飯を2-3分で済ました後、すぐコメをといで3合の玄米を炊飯器に入れます、これをしないと母が米を6合ちかくといでしうので、それを阻止するため、急いで食べたらコメを研ぐ、そして生ごみを混合ゴミのポリに捨てに行く、そうしないと母が生ごみを庭に捨ててしまい翌日、カラスが山のように群れてきます。


ごはんも6合たいてもいいのですが、余った古いご飯を新しいご飯と混ぜるため、夏場など炊飯器を開けた時の匂いのすさまじいこと、でそれを捨てるのも大変だし、捨てるなると鬼の形相で迫ってくる母とのひと悶着も大変なので夕飯をすぐすまし コメを研ぐことにしてます。玄米なので圧力鍋で煮るのですが、鍋にコメをいれると母が炊飯器で6合コメをとぐので、炊飯器にいれて、母が寝たら圧力鍋に入れ替えるようにしてます。


家の箸のほとんどが先がぼろぼろ、黒い橋の先が色がはがれてます、爪楊枝のかわりに箸を使うせいで、注意してもまったくやめません、


薬を飲むときのお湯を茶碗にそそぐと 入れ歯を出してどんぶり茶碗に 自分の入れ歯を入れ素手で洗って、その後、入れ歯を入れ、その残り湯を飲み干す。気持ち悪いですが それが自分の母の現実です、よく認知症の母が壊れていくのが悲しいなどという手記がありますが、自分の場合、もともと母は凄まじいヒステリーで衛生観念は皆無の人だったので、こういう人間という認識だけです。誤解のないようにですが、母はいつもケラケラ笑ってます。(この文章からはくみ取れないでしょうが自分は滅茶滅茶愛想がいいので)介護士として東京で働いていた時も自分のまわりは笑いがいっぱい。カラオケで歌うと一度も笑顔を見せないおばあちゃんが笑顔になり うまいねー 98点と画面に表示。。



   想定外の事柄が起きるたび怒っていると自分が消耗し疲れははてるだけなので、絶えず想定外の展開があることを想定すれば 怒りを覚えることはありません。スーパーで食材が安い時、3日分食材を買ったりすると、自分が30分散歩に行ってる間に 3日分の食材 5000円分全部使われ、鍋は真っ黒になり(今まで数百回鍋は真っ黒、火事にならないだけ 幸いです)


散歩に行くときも 水戸黄門やBS歌謡曲などの録画を見せ5分くらい様子を確認してから散歩に出かけてますが、鍋が真っ黒になることは日常茶飯事です。


根菜類は食事に含めているのですが、葉物の調理は苦手なので、ほうれんそうのお浸しなどがないと母が庭の水仙の葉をニラと間違え 味噌汁にいれ 父と一緒に、食べてしまい死にそうになった時が2度あります。自分たまに朝食は 一緒にしないときがあるので、その時母が作ってしまいました。なんとか吐き出して大事にはいたりませんでした。


ひたすら、想定外を想定内にしていく。




昔は母が嫌いでしたが、今は憎しみはありません。ただ息子として両親とかかわるだけです。


子供は母親を選んで生まれてくる、そう感じるのは


自分が昔より 優しい人間になったと感じることです、介護士をしていた時、施設で一番嫌われてるおばあさん、入浴介助の時、介護士の肩をかむので皆に敬遠されていたおばあさんが、入浴介助をしていた時、優しい顔だねー 優しすぎる目だと、優しい顔だとは昔からよく言われてました(成人後)


顔は優しくても 気持ちは 優しいとは言えなかった。でも 今は自分の心の状態は 以前より 明らかに優しくなったとかんじます。 それって母がいたからかも?自分を成長させるための存在なのです。視点を変え 俯瞰してみれるようになること


子供は母を選んで生まれてくる、自分はそう思います。。