統一教会で高額なハンコ 買った経緯

39年前、新宿のワシントン靴店で靴を買った帰り、占い師の方が目につき、ベトナムの難民に鑑定料は寄付する趣旨の内容も記載され、しかも占いの叔母様が上品なこともあり、2千円で鑑定。叔母様は旦那さんが都市銀行に勤めていて、週末活動されてる。その話は納得できる雰囲気でした。


当時、証券会社で働いていてノルマに押しつぶされそうな日々、大学時代、全く勉強せず(退学することばかり考えていた)結果 証券会社にしか入れず、不満だらけの毎日。


占い師、あなたは素晴らしく聡明で才気煥発、しかし、家の運が悪い、本家の長男ですよね?なんでわかるの?小さい時から否定ばかりされていた自分にとって唯一自分をほめてくれる人にあって。(顔がハンサムだとはいろんな人に言われてました、社会人になってから)しかし、すごく頭がいいと言われたのは初めて(偏差値82)7000人中で6番だった時代もあったわけで。


とにかく、ブラックの中のブラック企業といえる証券会社の中で深夜まで残業の毎日、先輩から罵詈雑言の日々にうんざりしていた自分には占い師のおばさんは、唯一の理解者なわけで、占った後に 女難の相がでていますよ。あなたが本来幸せになれる。。。


渋谷のある場所へと誘導され、そこで壺を購入、壺を買えば あなたの先祖の霊が浄化されあなたの本来の人生が歩める。この辺の話は かなり功名で というか、自分のことが何でも分かっていると勝手に妄想してるので、壺を購入、一番安い壺は60万円。


月1万で5年でもいい。 自分の本音、60万で 恋人が出来るなら安い、すぐ買いますなんだけど、ただ購入するだけでなく、何年間か あることをしてはいけない。


この条件が無理なので、別の選択肢。60万は安いです。しかし 男性の100人が100人もしくは96人くらいは、まずこの条件をクリアーするのは無理なのでは?山の中で おじいさんと おばあさんしかいない村とか山で仙人みたいに生きてないかぎり。東京で生きてる20代前半の男性ではまず不可能な制約。

伊勢白山道ブログ 有名ですよね。

知らない人が多いので、逆に驚いてます。アクセス数日本一になって十数年目、いろんな分野のブログランキング1位の方が毎日読んでるケースも多数なのに知らない人が多いので、逆に驚きます。


自分は伊勢白山道が開設された2007年、というより、開設した日か翌日から読んでました。なにしろ先祖供養ブログなので 最初は訪問者が日に数名か数十名、書いてる内容が本物、他のブログとは全然違うと感じていたので、ずーと読んでたし、そこに書いてることを実践したかったのですが、両親がいるため、仏壇の線香のあげかたやその他が実践できない日々でした。


伊勢白山道のなにがすごいか、311やコロナを事前に予告してます。2019年末、巨大な彗星がちかずくことから、パンデミックになる。そういう予想は枚挙にいとまがない。


先祖供養ブログなのに松原照子より予想があたります。で一番大切なのは どんな事態や危機、壊滅的な状況になっても、我を忘れず、冷静に自分を見つめる視点。上から、今の自分を冷静に俯瞰すること、喜怒哀楽が人生、というより怒り怒り哀しみ哀しみばかりの人生でも しっかり生きましょう。そういうメッセージが読者の共感を呼ぶのでしょう、ここ数日の伊勢白山道の記事は 風雲急を告げる ようなメッセージになってますので、関心ある方はご覧になられてはいかがですか。

陸前高田の廃校がマハラジャ六本木になった夜

被災地の老若男女200人がアースウインドウファイヤのセプテンバーをBGMに踊り狂った日
あれから2年と半年。毎年夏になると、NPOの組織がUCLAの学生の中でもいろんなスポーツの分野で学生チャンピオンになった優れた学生30名近くが被災地陸前高田の子供達とスポーツや共同作業をする企画があり、そこに自分もボランティア通訳として2回ほど参加してました。


2019年の夏、その企画が最後になる夜の6時、廃校の体育館には例年以上に子供や親、関係者が集まっていました。気仙沼からは出張屋台も2件来ており、今までにない盛りあがりが期待されてました。


自分は昨年親しくなった、体操競技で全米学生チャンピオン(ミスハワイにも選ばれた)になった女の子と話しをし、彼女の新しいダンスのコンビネーションを見た後、自分も昔やっていたエアロビクスのジャンピングジャックの複雑なコンビネーションを披露すると、彼女は感化されたのか、高度なダンスの技を披露しはじめ、彼女以外のアスリートの女の子も踊りだしました、彼女にスマホの音楽を体育館のBOSEの大型スピーカーに接続するよう話すと、スピーカーから


アースウインドウファイヤのセプテンバーが重低音の効いた大音量で流れだし、老若男女、ほぼ全員が踊り始めました。その熱気たるや、マハラジャ六本木をはるかに超えてました。


8年前自分が マハラジャに何度かいっていたころは 数十人も集まっていなかった(今は分かりません)ような。


自分の行動が発端で始まったひと夏の出来事。サタデーナイトフィーバーが佳境を迎えるなか、高齢の両親の事が心配な自分は こっそりそこから抜け出しました。500円で 飲んで、食べて踊る あんな夜が またあればいいなー。


(クルマできた自分は余りの盛り上がりで、自分を見失い、出張屋台で500円払いジントニック。一口飲んだ後、車で来たこと思い出し、そのドリンクは


身長2mを超えるバスケット選手に(こんな僻地に 子供たちのために、わざわざきてれてありがとうと 英語で伝え)あげました。