佐々木朗希の不思議

4年前、当時は佐々木朗希君は無名でした。岩手県民のほとんどは知らない、地元でも野球に関心がある人達のあいだでは知られてる程度。自分は野球に無知なのですが、中学校関連のバイトをしていた関係で彼の存在を知りました。


玉は速いけどコントロールがよくない。でも なぜか 彼は有名になると直感してました。彼の同級生が当時高校2年生になったばかりの彼らに 佐々木朗希の同級生で3-4年後マスコミに取材されるぞと よく伝えてました。地元の駅が交流センターになっていて、そこが散歩の休憩所だったりしていて、大高生の勉強の場所だったしていたので、朗希君の友人の子とはよく話をしてました。彼は某旧帝大に合格しました。


佐々木朗希君は地方大会でしか投げてないのに163キロの玉を投げただけで、 令和の怪物とマスコミが大騒ぎ、甲子園で活躍した選手達を 遥かに超える 評価。


あの時のマスコミの騒ぎ方は異常でした。三陸鉄道の長さ総距離は163キロ久慈から盛(大船渡)までの長さは朗希君の球速と同じ、不思議(なにかあるのでしょう)


佐々木君の不思議は 普通の選手が時間をかけて積み上げた実績、 高校時代なら甲子園で春夏連覇した投手を 163キロの玉を投げただけで、一気に超えてしまう。


今回の完全試合も完投したのが今回初めて、プロに入ってからの評価は昨年前半までは ぱっとしないまま、ヤクルトの奥川投手との差は天と地ほどだったのに。


今回の1試合だけで 時代の兆児 世界一の投手など 大絶賛。


昨日のTBSのNスタではかなりの時間 佐々木君の特集をしてました、その時のコメンテーターの発言が 中身のない薄い 洞察力のかけらもない内容だったので驚きました。元オリンピック選手で肩書だけはすごいけど 物をしっかり観察できない。


佐々木君の試合中に心をコントロールするという発言は どういうことなのか?それを知りたい(分からない)、9歳で津波にあい父と祖父母を失い、家を失い、仲良しの友達と離れ隣の町に引っ越す、住まいは転校してきた小学校の校庭に建てられた仮設(6畳か4畳半二間)そこに兄弟3人と母で住むことになる


佐々木君が大船渡に残って大阪桐蔭からの誘いを断るというのも、この辺から流れ、野球をとうしての友人関係の厚みが 普通の中学生とは全然ちがう。そして高校3年で納得のいく野球ができなかったことなど いろんな試練があり その中で彼はいろんなことを思案しながら野球の技術だけでなく精神面でも成長した。(自分だけでなく3歳上の兄や弟の様子、一人で3人の子供を育てなければならない母の様子、いろんなことを目にし幼い子供なりのきずかいがあったはず)わずか9歳での震災の経験は すさまじいものがあり、それがマイナスでなく 自分でプラスにしていった。艱難汝を玉にすを体現してきてる。


完全試合を達成するまでは、一番速い球を投げれるのに甲子園にでれないとか、U18の選抜に選ばれるも、練習中の豆でたった1回しか投げないとか、一番希望してない球団に選ばれるとか、プロになってもつまらないエラーで点を取られるとか。


いわゆる もってるでなく もってない みたいな印象だったけど、今回の完全試合でそれが 完全に覆りました。完全試合がすごいというより、このタイミングで偉業を達成したこと、同じ偉業を2年前、あるいは昨年なしえたとしても、コロナ禍でスタジアムは無キャン客、昨年のオリンピックですら やらないほうがいいでしょうという雰囲気。


それが 今年やっと普通に観客をいれて野球が見れる、しかも皆 観戦したくてしょうがない。一方ではロシアの戦争で 暗い報道ばかり、この雰囲気の中で 完投勝利。


佐々木ろうきが 試合後完投で勝ててよかったと 本音がでてました。試合前の彼の目標はそれだけだった筈 それが 完全試合になっていた。まさに 無欲の勝利。実際テレビの中継がなかったので、またエラーで勝てないかも?佐々木がマウンドを降りた後の投手が打たれて負ける、いつもそういうパターンなので、2勝目できれば 十分すぎ、地元で応援してた人の心境は そうだったはず。特に唯一テレビ中継された巨人戦はストライクが入らないし、ファールで粘られて逆転とか。の映像ばかりなので 勝利投手になればいうことなしの出来。  



佐々木朗希君は物真似が得意みたいです。ジャパネットの高田会長と誕生日が同じということは おしゃべりなのでしょう。インタビューの内容からも 頭がいいのは わかります。




自分はジャパネットの商品を買うので、購入する時、4年以上前ですが、必ず言っていたのは高田会長に佐々木朗希の後援会長になてほしい電話でオペレーターに伝えてました、理由は高田会長と佐々木君の誕生日が同じだから、自分も同じなので、ソフトバンクに入団したら お願いしますと商品を購入するたびに伝えてました。

佐々木朗希 大船渡高校応援歌

大高(大船渡高校の略称)のピッチャーのボールが打てるならやがて西から満月がでるよ


50年近く前歌ってました、地区予選で2回戦あたりで負ける 弱い野球部を応援する歌。
球速100キロ超えるくらいの投手のチームで、大高のピッチャーのボールは誰でも打てるみたいな時代、それから7年後 甲子園春の選抜でベスト4,中学の東北大会優勝メンバーが全員大高に進学して実現した快挙。


そして昨日、大高から ボールが打てたら西から満月が出るよ みたいな投手が 現れるなんて。感慨深い。


昭和59年の選抜で校歌を聞いた時も まさか甲子園で勝って 校歌が聞けるとは(当時 岩手の高校野球は47都道府県で 一番弱いようなかんじでした)


NHKの野球解説者が 平安高校と一関商高の試合 12対0とかで なんとか1点 岩手の高校の意地を見せて欲しいですね。みたいな それが当たり前の時代、大高はホームランを打って快勝し優勝候補の明徳義塾にも勝ち 優勝した岩倉に1対0で準決勝で惜敗。


佐々木朗希君は4年前地元のテレビ放送試合で岩手県大会の準決勝で初めてテレビで見ましたが、初回から140キロ超えのストレートは速くて地元のアナウンサーは興奮してるけど ストライクが入らず140キロ超えの玉ばかりなげるも ファーボールで満塁。そんな感じで


球は速いけどストライクが入らない。無駄に球が速いだけの印象でした。3年前の高校3年の夏から 評価がぐーんと上がり、実際投げるをのを見るのは不可能に 


岩手県大会の準決勝を盛岡まで行き、駅からバスに乗り県営球場へ、決勝は投げないと思っていたので見に行きました。大高の前に花巻東の試合 ピッチャーの玉は140キロ超え、初めて140キロの玉を見ましたが速い、甲子園常連校の投手は このレベルなのだと実感しました。その後、佐々木君の150キロを見ると さほど感慨もなく、6回で4対0だったので、バスが混まないうちに県営球場を後にしました。


決勝は投げないのは分かっていたので 仮に投げたとしても1-2回程度、花巻東と大高の実力はあまりに差がありました。準々決勝の試合で佐々木君がホームラン打ってなければ負けていたチームなので、甲子園は無理だし、花巻東ですら甲子園では1回戦で相手チームと大差で負けていたので、母校に甲子園に行ってほしいとは 自分はまったく思ってませんでした。弟も大高なので 数万円の寄付を募られるのでね、それに見合う実力があるチームなら別ですが佐々木君だけのチームでしたから。


頭の悪い人達が新幹線で岩手大会の決勝見に行ったとかでテレビで騒いでたけど、決勝前の2試合で320球以上なげていたので、まず投げさせないでしょ 投げてもチームは打てないので 花巻東が勝つのは ほぼ間違いないし。(準々決勝で佐々木が延長でホームランを打って運よく、やっと勝てた )それがチームとしての実力)


3年前から 初めて1回から9回まで完投して それが完全試合。応援歌のとうり 西から満月が出るような 1試合27奪三振を見せて欲しいです。

田村正和にしか 似合わない台詞

映画みたいに別れよう、俺が君にあげられるのは、そんなことしかない。   間奏。


独立記念日の夜、おらー(俺)君に初めてキスをした。   覚えてもいなかったくせに。


あの日は 花火があがってた。    間奏          見もしなかったくせに。


あの日以来 おらー君のことが忘れられなくなった。          もっと言って。


俺と一緒に生きてほしい、俺を助けて欲しい。                もっと、


君ならそれが出来る、                    もっと言って(ため息)


君なしでは生きていけない。君が必要だ、君以上の女はいない。  俺のそばにいてくれ、


俺が一番愛した女だから、                間奏。


田村正和さん ご本人が一番お気に入りのドラマの台詞です。この台詞が古畑任三郎の時と明らかに違うのは、正和さん本来の喋り方 ぼそぼそした聞き取りずらい部分と はっきりした明瞭な音が同居していて、古畑任三郎の真似よりは 数段難しいですが、自分のように40年以上正和さんの真似をしてきた人間には 真似しがいのある台詞です。


正和さんの喋り方は基本時代劇の台詞まわしが基本で抑揚のつけかたも特徴があり、古畑任三郎でも、事件の核心に入っていくときその特徴が出てきます。


ただ、正和さんはラブストーリーが好きだったということもあり、  この一連の台詞は 田村正和さんにしか似合わない台詞だと思います。


古畑任三郎が出る前は 火曜サスペンス劇場で 相手役は大原麗子などと解説したあとに物真似をするというパターンでしたが、古畑任三郎になってからは、 えー といっただけで分かってしまい。物真似をする側として つまらない、やりがいがない。という感じでした。


真似をして、相手が驚く表情を見るのが楽しいのです。すごい、そっくり、いろんな言葉が聞こえますが、相手の表情を見るのが、喜ぶ表情を見るのが 楽しみで 良く真似してました。


同時に台詞に感情を載せると そっくりになるし、自分も心地いいのです。カラオケで自分の得意な歌を歌う時、しっかりこぶしを使って そっくりに歌えた時の高揚感があるのです。 物真似はいつでも、どこでも、相手がいればできますから、相手も自分も気持ちよくなれる行為なのです。


コロナが明けたら、この台詞をネタに楽しみたいと思います。こういう台詞は似てれば似てるほど 爆笑になる 経験上間違いないです。顔が似てる似てない関係なく 本人になりきる これが 一番大切。コロナ禍があけたら この台詞で 。。。